社会人博士課程を修了しました
2018年3月に博士(工学)の学位を頂きました。2013年3月に修士(工学)を卒業し、2015年4月に再び同大学で社会人博士課程で入学し、ちょうど3年で卒業しました。
私の研究は、簡単にいうとデータ分析の結果をさまざまな条件下で活用するための研究になります。社会人博士課程は大変と聞いていましたが、実際3年経って振り返ると自分の想像以上に大変でした。しかしながら、3年間取り組んで良かったと思います。実際に、博士の学位を取って後悔した人はほとんどいないと聞いていたとおり、私自身もそう感じています。なぜそう感じるかは、いろいろな面でのスキルアップやコミュニティ形成などがあったからなのでしょうが、私自身は博士論文を完成させるまでの過程で訓練される「本質とはなにかを考える力」が自分にとっては1番大きいものだと感じています。
この記事では、入学から卒業までの3年間の流れを振り返ります。これから社会人博士課程を目指す人になんらかの参考になればと思います。
入学の理由
- 単純に博士という学位自体に興味があった。そして取り組みたい問題もあった
- 学部時代に社会人博士課程に通っている先輩がいて、社会人をしながら研究・勉強を続けている姿に憧れを抱いた
- 私も修士で就職すること(ソフトウェアエンジニア or データ分析者として)は決めていました。当時、社会で役立つものは何かを自分なりに考えてから、それを踏まえてもう一度研究をしたいと考えていたため
環境
入社してからデータ分析に関する研究開発部署に配属。今でも大きく環境は変化していません。 社会人2年目の後期に、当時の研究室の教授にアポイントをとり、直接相談して、社会人博士課程で入学することを快諾してくれました。
その後、会社では上司に相談。上司も快く快諾してくれた。私の所属が研究開発部署であったことがとても大きかったと思う。また、周りに社会人博士課程を卒業した先輩社員もいた。
入試
研究テーマに関して、入学する専攻の教授陣(10名〜20名)に対してプレゼンテーションを行いました。とくに3年間のストーリーを話すことができるかが議論の対象だと思います。
今思うと、このとき話した内容から大きくずれた研究もしているなと感じます…。
授業
自分の場合は修士と同じ大学であったため、取得する必要のある授業はなく、必修科目の研究指導関連のみ。これは社会人である自分にとってとても助かりました。
時間
平日は帰宅後、数時間。電車での移動中に論文読んだり、考えたり。残業もあまり無い環境であったので、環境にも恵まれたと思います。
あとは土日。ずっとっていうことは無く、妻と予定を立てて、ご飯を食べに行ったり、たまに日帰りで遊びにいったり、気分転換も割とやっていました。自分の場合は、研究はどこでもできる(脳内)と思っていたので、移動中に論文読んだり瞑想したりで少しでも研究脳を忘れないように意識はしました。また、幸いにも妻もいろいろと気を遣ってくれたことに本当に感謝。博士論文執筆中に、ちょうど子供も産まれましたが、多くのサポートをしてくれました。
費用
学費
国立大学の一般的な学費(入学金+授業料)がかかりました。
交通費
月1度、片道1万程度の新幹線がかかっていました。私の場合は、2年生前期〜3年前期からは仕事の都合で関西勤務となり、交通費を抑えることができたのは助かった。また、色んな経緯で貯めることができていたマイレージを使用して国内線特典予約をかなり利用できたので、金銭的に助かりました。
PC
大学からの支給品や自宅のMacbookで十分だった。
計算環境
これもリモートからログインして計算に利用できる十分なサーバが環境としてあったので問題なかった。これもかなり大きいのではと思います。
タスク管理
Trelloで管理した。とくにラベル付けなどをちゃんとして、見た目を充実させて自分のモチベーションを維持した。仕事ととの頭の切り替えが難しいときもあったので、すぐに研究で考えていたことを思い出せるように、Trello上にTO DOをダンプするようにした。
論文整理
Evernoteでまとめた。ダウンロードしたPDFファイルは、論文整理用のソフトは使わずに、Dropboxで[YEAR]_[AUTHOR]_[TITLE]でカテゴリごとにディレクトリを作って保存していた。しかし、最終的に効率の良さを考えて、Papers3 を導入した。学生なら49ドルで購入できるので、とても便利です。
英文校正
博士論文の質をあげるために、英文校正を行いました。基本的な英文法チェック等の一般的なものを使用した。 価格は最初の提示額から希望値段を言うと、半額以下に値下げることができたので、主張することは重要。
博論製本
私の大学では、PDFファイルを提出すれば、製本は不要でした。 そのため、落ち着いた3月に関係者に配るため、記念に製本しました。 研究室の製本機が不調だったので、インターネットで検索して専門業者に依頼しました。
博士過程の流れ
1年目(2015年)
- 修士時代に行っていた研究を後輩が追加実験を行ってくれていて、それらを加えて、改修したものをジャーナル論文(1本目)として投稿した
- もともと興味のあった分野の最近の動向や研究を調べて、予備実験を行っていた
- 後半くらいから主張すべき点をまとめて、国内の全国大会向けに投稿した
2年目(2016年)
- 春に全国大会発表、夏にも国内の学会で発表。学生賞を頂いた
- 春に発表した内容をブラッシュアップして、国際学会で発表
- 9月ごろに1本目の論文がアクセプト
- 発表した国際学会の特集号を狙いに、12月頃にさらにブラッシュアップしたものを論文投稿(2本目)
- ほぼ、同時に12月ごろに別の研究のアイデアがでてきて、実験したらうまくいったので、2月にそのまま国際学会に投稿
3年目(2017年)
- 昨年発表したものがヤングリサーチャー賞を受賞。表彰される(とてもラッキーでした)
- 特集号の2本目の論文がアクセプト
- 国際学会発表
- 国際学会発表後に、ブラッシュアップしたものを国内の学会誌に論文投稿(3本目)
- 投稿後、それの拡張の実験をしていると同時に、博士論文執筆時期
- 2月に国内の学会誌もアクセプト通知
博士論文のスケジュール
2017年春ごろ
- 学位を取得した先輩から、論文のフォーマット(Tex)を頂く。ざっくり修了までの流れを雑談で聞く
2017年夏ごろ
2017年10月
- とりあえず投稿したものをまず流しこんで体裁をざっくり整える
2017年11月
- 上旬:発表論文リストや謝辞もつくり、一旦完成させる。。この時期に、会社で行っていた研究のアクセプト通知。2月上旬にアメリカでの発表が確定したので、審査と重複しないか早めに確認
- 中旬:主査の先生(担当教員)に提出
- 下旬:副査の先生方にも提出。提出の際に、数十分程度軽く内容を説明する
2017年12月
- 上旬〜:担当教員から添削と修正点がはいる。かなり真っ赤になったことに反省。。
- 上旬〜:添削頂いたところを修正
- 中旬:公聴会で発表。副査の先生を中心にコメントをもらう
- 下旬:学位申請書等の事務手続き資料を揃える。当時の後輩が論文の著者で連名になっているものがあったので、サインをもらったりが必要
2018年1月
- 冬休みを利用して、論文を修正。 年越しの瞬間も論文修正してた。
- 上旬:外部の英文校正会社に論文チェックをしてもらってさらに修正
- 中旬:論文を印刷して、簡易製本を行い、学位申請書と共に事務に提出。これで一息つけた
2018年2月
- 上旬:企業で行った研究について国際学会で発表@アメリカ
- 中旬:最終諮問を実施。そのまま最終版を印刷して提出。終了
2018年3月
- 上旬;最終審査を通過した連絡を頂く
- 下旬:卒業式。学位記を受領
よかったこと
- 博士論文を仕上げることで、技術はもちろんなのですが、問題に対して、議論の質をあげる力、執筆力、プレゼンテーション力など総合力が鍛えられたのかなと思います。目に見えるものではないですが、ときどき実感することはあります
- 名刺に博士(工学)と書けること(わかりやすく嬉しい気がします)
- なんとなく会社でも広まって、応援してくれたり、そういう目で見られてなんとなく評価ももらえたこと(直接的なものではないが、人間的によかった)
- まだまだ企業人で博士の学位を取得している人は周りに多くいないので、自分自身のプレゼンス向上につながる(はず)
苦労したこと
- 博士論文自体の執筆は、単なる投稿した論文の焼き直しではないことを実感。ストーリーから構成まで新たに執筆する部分が増えて大変でした。。研究の振り返りにもなると思うので、ストーリーはどこかのタイミングで定期的に考えないとなと思いました。
- 執筆における英語の表現力が不足していることを痛感しながら、英語は最後まで苦労しました。。
- 仕事の繁忙期と学会誌の締切が重なると普通に辛いですね。。
犠牲になったこと
少なくとも約3年間の平日と休日の余暇が犠牲になります。 例えば、友人と遊ぶ時間・飲み会の参加・他の勉強したいことができたときに優先度をうまくつけれるか等、多くの葛藤が生まれます。
私の場合は、例えば別の興味のある技術を勉強したい、会社でやっていた仕事で必要な技術を深めたい、などありました。今思えば、それらを並行になり遂げることもできたかもしれませんが、頭の中のパーセンテージを切り替えていくのも大変でした。このように、時折の自分自身のモチベーションが、優先度をつけてメリハリをつけて研究するための時間を捻出する精神力が必要になります。
そんな時もありましたが、妻がそばにいてくれたおかげで、良い息抜きもできました。逆にシングルは精神的に辛いことも増えるのかもしれません。
今後
一時期は、大学に戻ろうかなと考えていた時期もありましたが、周辺の大学の先生方の話を聞き、自分はデータがある企業でリサーチャー or データサイエンティストをしながら、現実の問題に向き合いながら、データを解析することに集中することにしました。仕事がら、大学とは何らかの関わりは今後とも継続するかと思いますが。
最後に私の恩師からありがたい言葉をいただきましたので、そのまま引用して終わりたいと思います。
10年後、20年後のことは、誰にも予測はできない時代になってしまいましたが、働きながら寸暇を惜しんで研究した経験は、きっと未来を照らす光になることは、私の経験上からも明らかです。
参考:博士課程に関するブログ
過去のブログ記事が出る度に読んで参考にしていました。こういう数少ない記事から、自分もがんばろうと思えていました。偉大なる先輩方に感謝です。